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#01 関空発ドバイ経由ボローニャ行き - ボローニャ国際絵本原画展入選者のイタリア・ボローニャ一人旅

ボローニャ国際絵本原画展、売り込み用の絵本、名刺、ポートフォリオ
ボローニャ国際絵本原画展、売り込み用の絵本、名刺、ポートフォリオ

まえがき

 

ここに記載された文章はボローニャ国際絵本原画展への応募から、それに参加するまでの過程を書いた他愛もない日記のようなメモ書きのようなものです。この文章を読んだからと言って、ボローニャ国際絵本原画展に入選するヒントや方法論、またはイタリア・ボローニャへの旅行に役立つような類のものではありません。要するに、全く誰にも役に立たない文章です。ですので、ただの暇つぶしとしてお付き合いくだけるという方のみ読んでみてください。

 

105- ボローニャ国際絵本原画展への初めての応募

 

実は、2010年に一度だけボローニャ国際絵本原画展に応募したことがあります。その時に応募したのは、私の作品ではなく、友人の弟の絵でした。当時私は彼らの絵本作りをデザイナーという立場で手伝っていました。ロゴのデザインから装丁デザイン、名刺から各種販促アイテム、展示の企画まで幅広く担当していました。そのような絵本作りに関わったことでボローニャ国際絵本原画展をいうものを知り、友人の弟の作品を送る手伝いをしました。自分自身の作品を応募したのは今回が初めてでした。当時はまさか自分が絵本を作ってボローニャに送るなんて考えてもいませんでした。

 

そして、ボローニャ国際絵本原画展の応募締め切り数日前に、ふとそのことを思い出し、手元にある作品で応募可能なものを見繕って消印当日ギリギリで梱包し、その作品がイタリアのボローニャへと旅立って行きました。

 

作品を作って、公募展に応募し、落ちた場合は自ら展示を企画して作品を発表や売り込みをしていくという流れで今年はやっていこうと考えていました。これまでの経験上、公募や賞は生ものだとも認識していますし、賞をとったり入選したからといってそれが直ぐに何かになるとも言えません。そこからどうするかが問題です。それに丁度応募を始めた頃に、「認められないから、反骨心で制作するんだよ」と言っていた現代美術家である大竹伸朗の言葉を思い出して、認められようが認められなかろうが、賞を取ろうが取るまいが、私は作品を作り続けるだろうな、という思いを再確認した直後でした。とはいえ、もちろん認められたいという気持ちもあるんです。

 

116- selected illustrator

 

私の第二子が生まれたので、病院で過ごしていたのですが、その時Web上で何の気なしに見ていた記事に、ボローニャ国際絵本原画展2019の入選者に自分の名前が載っていることに気づきました。最初は何かの間違いか、同姓同名の人が入選したのでは? とすら思っていましたから、ボローニャ国際絵本原画展2019の正式なWebサイトに掲載された入選者名を見てとても驚きました。
ボローニャ国際絵本原画展とは、絵本のために描かれた5枚の原画をもとに審査をします。ですので、絵本のストーリーと絵を審査するコンテストとは違い、絵が審査の対象となります。いわゆる絵本の公募展のように、物語と絵で構成された絵本そのものを審査するというものではないので、英語表記では入選が selected illustrator という表記になります。

 

ボローニャ国際絵本原画展の審査方法からはすぐに絵本の出版に繋がるような賞ではないということがわかります。しかし、この賞に入選するということは新しい可能性が広がりますし、単純に絵本のための絵としての評価していただいたということで自信にもなります。実際に、素晴らしい入選作品に対しては、直々にオファーが来るようですが、残念ながら今回入選した私の作品に対しては来ませんでした。

 

私は作品を作るときに、常に心の片隅で意識しているのはできる限り普遍的な物へ近づきたいという思いで作っています。それは、作品が国境を越えたり、人種を越えたり、性別を越えたとしても、耐えられるだけの強度を持つものということかもしれません。まあ、こんな偉そうなことを言ったって、100人に見せて、100人が良いというものなどはまずありえないのだから、普遍的なものを目指すという考え方はどこか矛盾をはらんでいるわけですが、それでもその思いは今の私には大切なものです。それに作品というのは、出会い方だとも思っています。どの時点でどの作品と出会うのかというのが大切なのだと思います。それは、賞の場合も同じで、どの作品がどの審査員と出会うのかというのが大切なのだと思います。だから、どれだけ大きなコンクールだとしても、一対一の出会いなのだと思います。

 

そんなことを言ったところで、作品は見てもらわないことには始まりません。ボローニャ国際絵本原画展の巡回展は、2年かけてイタリア、日本、韓国、中国を巡るため、自ら主催する個展とは違い、絵を見てくれる人の数は比べ物になりません。そのような場を頂けるだけでもとても素晴らしことなのです。

 

そして、数日後に板橋区立美術館の方から電話で連絡が入りました。

「ミヤタタカシ さんのお電話ですか?」

「はい」

「板橋区立美術館です。ボローニャ国際絵本原画展、入選おめでとうございます」

「ありがとうございます」

「ミヤタさんは現地に行かれますか?」

「私は行く予定はありません」

「そうですか。今年は日本での巡回展もありますので、一年間よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

かなり省略していますが、このようなやりとりだったと思います。

この電話を頂いた時点で、私はボローニャへ行く気なんて全くありませんでした。まず飛行機で10時間以上も身動きが取れないなんて信じられないですし、現地での一週間は作品製作はほとんどできないと思っていたからです。その反面、心のどこかでは行動しないと何も起こらないという思いもありました。

 

211- 行動とは未知の世界に足を踏み出す行為

 

日が経つに連れて、これは行かなければいけないような気さえしてきました。 ボローニャ国際絵本原画展への入選なんて、馬鹿げた偶然のようなものだけれど、それでも、何か思いがけない届け物のようにも感じ、半月後には心境も変わり現地に行く決心をしていました。

 

ボローニャ国際絵本原画展に参加することを、板橋区立美術館の方に伝えたところ、期間中は宿泊施設の予約が取りにくいため早めに予約をしておいた方が良いと言われ、直ぐに会場近くの宿泊施設 B&B Bononia Fiera を予約。飛行機は料金が安かったため、Emirates(エミレーツ航空)を予約しました。関西空港発、ドバイ経由、イタリアのボローニャ着。ドバイでのトランジットが4時間もあり、さらに計で16時間程度のフライトが待ち受けています。飛行機に乗り慣れている人にはなんてことのない時間かもしれませんが、飛行機での移動時間を大変苦痛に感じる私にとっては、驚きの拘束時間です。

 

子供の頃に父親の転勤でアメリカに住んでいたことがあったのですが、その当時、飛行機はとても楽しいもので、機内では寝なくてもいいぐらいでした。小さい子供にとっては、エコノミークラスの椅子でさえ大きく感じますし、雲しか見えない窓の外を飽きずに眺めたり、機内に持ち込んだおもちゃで遊んでいるうちに時間もあっという間に過ぎたのを覚えています。ところが、転勤先のアメリカで見た飛行機事故の映画を見たことによって、徐々に飛行機に対する恐怖心が現れてきたのです。もちろん、旅行で何度か飛行機に乗ったことはありますが、長くて片道5時間程度のものでした。

 

それに加え、ボローニャ国際原画展会期中、ボローニャ市内のバスや電車は人が溢れ、観光客、主に間抜けな東洋人を狙ったスリが多発するとのことで、「なに?スリだと?絶対にすらせないぞ!」と自分の中で一気にスリと対決する決意が固まりました。

 

現地に行くと決めてからは、絵本の売り込みの準備をはじめました。

作品のダミー本を10冊程度を発注し。正式に製本した本を1冊。原画、名刺、作品集など、絵本も日本語から英語へと翻訳をしてデータを作らないといけません。

そして、2冊の絵本を英語へと翻訳をはじめました。翻訳に取り組みはじめて、一冊は問題なく訳すことができたのですが、簡単な内容にも関わらず、入選作品である「迷子のうさぎ」の翻訳が自分の力だけではどうにも仕上げられないように感じていました。それに、自分が今書いている英語がしっかりと英語圏の人に伝わるのかどうかもわからず不安に思っていました。

 

222- 翻訳

 

そして、印刷や製本が間に合うギリギリのタイミングで翻訳者の方を探すことにしました。これから、イタリアのボローニャに絵本を売り込みに行こうとしているというのに、不思議と翻訳の仕事は広島に住んでいる翻訳者の方にお願いしたいという思いが出てきました。そして何名か候補がいた中で、一番最初に連絡を取ることができた方にお願いすることにしました。フリーランスの方に翻訳の依頼をしたことがなっかたのですが、仕事内容や

 

その方とやり取りをする中で、実は翻訳者の方は年度末というのが繁忙期らしく、大変忙しくされていたなか依頼を受けていただいたので大変感謝しています。

 

37日 – 届いた鍵

 

そして一週間後、翻訳が上がってきました。翻訳をお願いした箇所は、絵本の本文とあとがきです。翻訳に対しては日本の昔話を翻訳したことのある英語を母国語とする方に確認(ネイティブチェックと言うらしいです)していただき本当に助かりました。

 

私は英語が得意ではないですが、上がってきた翻訳を読んでみると、「ここはこういった表現をするんだな」とか「英語にするとまた違った見え方がしてくるな」というように、自分の作品に対してもまた新たな発見がありました。そして、日本語では出てきていない単語 が出ていて、不思議とその言葉で私の目は止まりました。“key”その瞬間、どこか頭を殴られたような感覚がそ脳内で起こりました。この感覚は一体何だろうかと考えました。この言葉について考えろと言っているのだろうか?それとも、これをモチーフにした作品を作れと言っているのだろうかと、単純な答えが頭の中を巡りましたが、これは直ぐに答えの出るようなものではないだろうと、直ちに考えるのをやめました。それでも、体の中には、殴られたような感覚が当分の間残っていました。

 

上がってきた翻訳を印刷データに配置して、配布用のダミー本を印刷会社に発注。プレゼンテーションのためにハードカバーの本を一冊手製本で制作しました。

 

320日 – 旅の友

 

以前、広島県廿日市にあるホリデイ書店さんで展示したとき、在廊した日に購入した、「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」 (新潮文庫) という題名の本を読んで、村上春樹さんも面白い方だなと思ったのですが、どちらかというと河合隼雄さんの言葉に大変興味を持ちました。近頃は、自らが作品を作っているためなのか体調が悪いためなのか、明確な理由はわからないのですが、小説や物語、絵本や漫画などを読めなくなっていました。しかし、不思議と対談や一人語りの内容のものは読めることに気づきました。ちなみに河合隼雄さんは、日本の心理学者で日本人として初めてユング研究所にてユング派分析家の資格を取得し、箱庭療法を日本へ初めて導入した方です。小説家、詩人や絵本作家など様々なジャンルの方との対談が残されています。

 

そして、ホリデイ書店さんに河合隼雄さんの本を二冊みつくろっていただきました。「自分の中の子供」 谷川俊太郎と河合隼雄が対談した内容です。「昔話と日本人の心」 河合隼雄さんが昔話について考察した本です。そして別の本屋で一冊を追加。「生きるとは、自分の物語をつくること」小川洋子と河合隼雄の対談こうしてみると、どれも対談か一人語りのような読み物です。

 

並べてみると、偶然にも今自分が考えていることにとても近い内容の物と出会っているなと思いました。「迷子のうさぎ」も色々な読み方ができる絵本だとは思いますが、読み方によっては自分の物語を探しにくという内容にも取れるお話ですし、自分の中にある子供が発する問いでもあるという見方ができることに気づかされました。

 

「迷子のうさぎ」 迷子になったうさぎの話。誰に聞いても、どの本を読んでも、自分がどこから来たのかを教えてもらえないうさぎ。最後に迷子のうさぎがたどり着いた場所とは。

 

これらの本を読みながら、そうだなと共感できることもあれば、もっと異次元のことを考えておられたり、自分自身の至らなさを嘆いてみたりと、私にとっては今の自分と並走してくれる内容でもあり、また別の次元へと連れて行き、新しい視点を与えてくれるような内容の本でした。やはり、本と出会うタイミングによっては、自分自身にとってその内容が薬にもなりえるし、何にもなり得ないこともあるんだなと改めて感じました。これこそ100人の人が見て読んで、100人が良いと思う作品などないという良い例でしょう。

 

324日 – 悪夢か吉兆か

 

ドアノブを誰かが激しく動かし無理矢理開けようとする。そして、鍵が開く寸前に、自分が鍵穴に吸い込まれるという夢を見ました。

 

私は普段、夢の解釈を普段は全くしません。しませんし、したところで本当に浅いところまでしか考えていません。それに何か予知のような力があるとも思っていません。なので「ああ、昨日あんなことがあったから、こんな変な夢を見たんだな」くらいにしか解釈していませんでした。それに、夢の解釈なんて一通りではないですし、正解不正解もない世界です。それはどこか作品の解釈にも似ているようなところがあるなと思っていました。自分で自分の夢を深く解釈するつもりはないですが、河合隼雄さんの本を読んでからは、夢にももっと深いメッセージがあるのかもしれないと思うようになりました。

 

思い当たる節があったり、こんな解釈もできるのかなという思いも出てくるようになりました。

風が揺らす扉の音が、侵入者の音にでも聞こえたのかもしれない。扉とは人の内面で、どんな人間にも開けられたくない領域があるということ。そして、もしそこを開けられそうになったら、自ら鍵穴を埋めて阻止しなくてはならないし、相手に対してもそれは同じで、開けてはいけない扉がある。という意味かもしれません。

 

しかし、河合隼雄さんは夢を素人が、安易に自分で解釈するものではないとも書かれていたので、断定はせずあくまでも解釈の一つということです。それに、作品を作る人間が夢にこれ以上深入りしない方がいいとも思います。それは、河合隼雄さんの本の中で、夢診断を始めた画家の方が絵を描けなくなったというのを読んで、若干の恐怖を覚えました。なので解釈はここまでにします。

そっと鍵をかけて扉の向こうにしまっておきましょう。

 

この一連の出来事がきっかけで「鍵」や「扉」を題材にした作品が何か作れないかなと思うようになりました。

 

妻が調べてまとめてくれたイタリアの情報が一冊のノートにまとめてくれていました。現地の人が通う評判の飲食店や、使用頻度の高いイタリア語(挨拶や数字)、簡単な食事のマナーや飲食店での会計の方法、スリ対策などなど。そのノートの情報をたよりに、キャッシュカードのスキミング防止、鞄のファスナーを固定するためのフック、パスポートやお金を入れておくためのシークレットベルト、小銭ケースなど、スリ防止グッズを揃えました。さらにパスポートを紛失した時のためのコピーと戸籍謄本の写し。準備もなんとか整い、出発の日が近くに連れて不思議と気持ちは落ち着いていました。

 

326日 – 画廊多面体

 

この日、広島にあるTAMENTAI GALLERY から連絡が入りました。中国新聞の記事を見た方から私をぜひ応援してほしいという連絡が入ったそうです。メールを読んだときは驚きましたが、ギャラリーの形態から直ぐに前職のある人物だとすぐに思い当たりました。私の作品が、ギャラリーに取り扱ってもらえるような代物なのかはわかりませんが、色々な可能性を探る一つのきっかけとして、ギャラリーの方にお会いすることにしました。そして、イタリア・ボローニャから戻っきててから会う予定を組んでいただきました。

 

331- 関西国際空港へ

 

出発当日、最寄りの駅まで妻と娘が見送りに来てくれました。その間、娘はなぜかずっと泣き通しでした。理由を聞いてみると、「遊び相手がいなくなるから寂しい」とのことでした。どうやら私は娘にとって遊び相手という位置付けのようです。

私は関西空港から飛行機に乗るのは初めてでした。23:30発の飛行機に乗るために、広島駅から新幹線に乗り、快速はるかに乗り換えて関西空港に到着。よく利用する広島空港とのスケール感の違いに若干の恐怖を覚えました。

 

上空から見える大阪の街の光を見ていると、不思議とその一つ一つの光に、それぞれの人生があって、それぞれの悩みがあって、それぞれの物語があるのだなと気づくと、次の瞬間に私たちが乗る飛行機の光が地上から見えたような気がしました。

 

1 April – 5:30 Dubai International Airport

 

ドバイに降り立つと、また関西国際空港とも違うスケールを感じ、呆れるような感覚と、面白さと、味気なさと、怖さを感じました。3階から壁面を流れ落ちる滝。コンテナのような巨大エレベーター。建物内を走る小型タクシー。そして、どこにでもあるマクドナルド。せっかくドバイの空港に降り立ったのですから、もう少し、現地の色や、文化的なものを見てみたいと思ったのでその部分は少しだけ残念に思いました。次の便までの待ち時間は約4時間。のんびり待ちましょう。

 

ようやく、次の便の搭乗時間が来ました。私は搭乗ゲートに早めに並ぶと、空港スタッフによるパスポートとチケットのチェックが始まりました。すると、私の前の人物がとても長い時間の尋問をされていました。「どこから来たんだ?」とか「お前の荷物はこれだけか?」。私もこのような尋問を受けるのかと私は内心不安になりました。そして、「お前はここに居ろ」と言われたそのおじさんは中に入れてもらえませんでした。次は私の番です。先ほどまで険しい顔を浮かべていた空港スタッフは、私のパスポートをチェックし終わると、笑顔で「コンニチハ」と一言。私が挨拶を返すと直ぐに通してくれました。この物々しい感じに私はなかなか慣れません。

 

1 April – 15:30 Bologna Guglielmo Marconi Airport

 

ボローニャ空港に到着すると、私はすぐにタクシー乗り場を探しました。イタリアでは走行中のタクシーを止めて乗車する習慣はなく、基本的には正式なタクシー乗り場から乗車するのが一般的なのだそうです。ホテルやレストランなどではタクシーを呼んでもらうことはできるそうです。

私が到着した時間帯は空港のタクシー乗り場は閑散としており、タクシーを待つ人は1組程度。直ぐに順番が回ってくると、運転手が降りてきました。サングラスをかけたスキンヘッドにしたマーロン・ブランドとでも言えばいいのでしょうか。そんな強面の運転手と挨拶をかわし、スーツケースを荷台に詰め込んでもらいました。扉は自分で開けて後ろの席に乗車。すると、行き先も伝える前にタクシーは出発してしまいました。

私は慌てて宿泊先の名前と地図を見せると、英語でこのホテルへ連れて行ってくれと伝えました。

すると運転手に「住所はわからないのか?」と聞かれたのですが、住所を記載たメモが見当たらず、この地図しかないと伝えると、「これだと良くわからないが、まあ行ってみる」と返されたました。私の頭の中では"Theme from the Godfather" がゆっくりと流れ始めました。内心、これは完全に舐められている。このスキンヘッドのマーロン・ブランドにボッタクられるか、あるいはマフィアに売られるかもしれないと思い不安になりました。

 

ボローニャ空港の正式名称はBologna Guglielmo Marconi Airport(ボローニャ・ボルゴ・パニガーレ空港または、ボローニャ・グリエルモ・マルコーニ空港とも呼ばれている)グリエルモ・マルコーニはボローニャ出身のノーベル物理学賞受賞者。

 

そして、ホテルらしき場所へと連れて行かれました。運転手は駐車場へと車を止めると、メーターを止めて19ユーロを請求。だいたい空港から駅まで1722ユーロと聞いていたので、金額的には妥当なように感じました。ところが目の前に見える外観をみる限り、私が事前情報として見ていた外観とはどうやら違うように見えました。すると運転手は「一緒に中に入って確認してやる」と言い、荷物を持って一緒にホテル内に入ってくれました。そして受付の人に確認すると違うホテルらしく、私が予約していたホテルはどうやら一本通りが違うようでした。

 

そして再びタクシーに乗り、住所を確認しながら本来泊まるべきホテルへと移動しました。住宅街の中の一棟のビルの番号を発見し、止まりました。アパートのような入り口のそばに番地を表す17という数字と B&B Bononia Fiera の看板が小さくかけられています。私はそこで、追加料金を取られるのかと思っていたのですが、荷物を下ろすと「いい旅を」と声をかけられ、私がお礼を伝えるとタクシーは去って行きました。予想外の展開に拍子抜け。タクシー運転手の Godfather は以外にも優しいおじさんでした。

ホリデイ書店にて購入した旅の供
ホリデイ書店にて購入した旅の供

1 April – 16:00 B&B Bononia Fiera

1 April – 16:00 B&B Bononia Fiera ボローニャ国際絵本原画展会場近くの宿泊施設
1 April – 16:00 B&B Bononia Fiera ボローニャ国際絵本原画展会場近くの宿泊施設

看板は出ていますし、住所も合っているようです。目の前にも地図に記載されているような公園が見えます。どうやら間違いなさそうです。ところが最初の扉を開けて中に入るとアパートメントのエントランスのようになっており複数の呼び鈴があります。どうやらその中の一室がB&B Bononia Fiera という宿泊施設となっているようです。そう言えば妻がイタリアの調べ物をしていた時に、なんとなく話していた内容を思い出しました。

 

B&BBed and Breakfast)と言えば比較的安価なホテルで、ほとんどが家族経営による小規模な宿泊施設で、住宅を改装して営業している宿が多いと、妻が言っていたのをその時思い出しました。

 

宿泊施設と言ってもホテルとは違うものだというのをそこで初めて認識しました。アパートメントのエントランスにある呼び鈴を鳴らすと、店主らしき人の声が聞こえます。イタリア語のようです。私には内容はわかりませんが、名前を伝えると入り口が開いたので中階段を上がります。4階に着くと店主がお出迎えしてくれました。風貌はメガネをかけた白髪混じりのジャン・レノ。どうやらここも危険な香りがします。

 

イタリア語をまくし立てる風貌はジャン・レノの店主。しびれを切らしたのか、娘らしき人物を呼び出した。どうやら簡単な英語なら話せるようだったので、私は英語で質問します。「これから一度外出して、22:00には戻ってくるので、その時にパスポートを渡しても大丈夫ですか?」

そう伝えると、娘さんが店主さんにイタリア語で伝えてくれました。どうやら問題ないそうです。そして店主から手渡されたのが、五つの鍵のついたキーホルダーでした。

 

1.客室の鍵

2.宿泊施設の入り口の大きい鍵

3.宿泊施設の入り口の小さい鍵

4.アパートメントのエントランスの鍵

5.用途不明の鍵

 

この後、私はこの五つの鍵と奮闘することになるとは、思ってもみませんでした。

 

つづく