MAMbo - Museo d'Arte Moderna di Bologna ボローニャ現代美術館

イタリアでの現代アートの展示どのようなものかも、大変興味がありました。ですので、常設展を含めて観覧しようと思いました。
「どこから来ましたか?」
「日本からです」
「荷物こちらで預かりますよ」
「ありがとうございます」
と丁寧な対応をして頂きました。現代美術館のような公共施設で観光地となるような場所の受付の方はとても親切に英語で対応してくれます。ボローニャという街はイタリアの中では都市から都市への経由地点として栄えた場所のようで、観光客に対しての対応が他の都市と比べて円滑で丁寧だということです。
立体作品、彫刻作品、抽象画、オブジェ、インスタレーション、ビデオパフォーマンスなど、イタリアの現代美術を一通り観覧でき、日本の美術館での常設展とはさほど変わらぬ展示に感じてしまいました。私は改めて概念で構成された現代アートの何もなさと、そこにある底知れぬ怖さを感じました。私にとって、概念だけで構築していく現代アートというものが、どうしても実感として湧かないというのがありました。要するに論理で構築したコンセプトを聞いてしまえば、作品なんて見る必要がなくなってしまうような作品はなんの意味があるのだろうと思ってしまうのです。もちろん、それだけではない現代アートというものが存在するのも、これまで作品を見てきた中で体感しているのですが、絵と物語がお互いを補い合って構成された絵本というのは私にとってはとても実感のあるものでした。しかし、このように記してみることで、もしかしたら現代アートというものも、作品というビジュアル、それが彫刻やインスタレーション、映像、何になるかはわかりませんが、コンセプトという名の物語が付加されることで成立しえるものを作ることができたのならば、それは私の中では絵本であろうが現代アートであろうが関係なくなる時がくるのかもしれないとも思います。結局のところ、どのフィールドに私が作品を持っていくかということになるでしょう。でも、今は私にとって一番絵本という媒体がしっくりきているということでしょう。ここで、同じような構成絵と物語で構成された漫画がなぜしっくりこないのかについてはまだはっきりとした答えが出ていませんが。
イタリア・ボローニャの画家、ジョルジョ・モランディ
Giorgio Morandi, 1890/7/20-1964/6/18 ジョルジョ・モランディ

そして、現代アートの展示室を抜けると、そこから先は、時代をさかのぼって1900年代の絵画の世界が広がっていました。
以前、どの書籍だったのかは忘れてしまいましたが、確か日本の料理本だったと思います。その表紙にあしらわれていたのがジョルジョ・モランディの静物画でした。甘いキャンディーのような静物画と表現されていたのものを読んで、言葉の表現の面白さもさることながら、相入れないような要素を持っているところに、当時のジョルジョ・モランディが築き上げた表現の特殊性があるように感じました。ジョルジョ・モランディは同じモチーフを何度も並べ変えながら、柔らかい色合いとタッチと相反するように、緊張感のある構図とモチーフの配置を試みているように見えます。
今回、ボローニャ国際絵本原画展に応募した作品は、ジョルジョ・モランディの作品に多少なりとも似た部分もあります。背景美術を、ユラユラとした蜃気楼を見るかのような、不確かな境界線によって描かれたもの、この画家の表現の一部が入っています。「迷子のうさぎ」の中で、うさぎが本を読むテーブルの上に置かれた静物などは、それに近いものを感じました。もちろん配置や構成も違いますし、表現しようとしているものの根本も違います。そんな画家に、ボローニャ国際絵本原画展が開催される同じ土地の美術館で展示されていることに、なんとも運命めいたものを感じました。
私はふと展示室から見える外の風景を見渡して、不思議な感覚を覚えました。すぐにでも外に出たい衝動にかられました。現代美術館というものは、いわゆるホワイトキューブ(白い壁で囲まれた箱)で、結局のところどの国に行ったとしても、どの美術館に行ったとしても、閉じられた均質化された世界に見えてしまい、長時間いると疲れてしまうように感じました。それは都市やインターネットの世界も同じなのではないかと感じてしまいます。美術館も資本主義経済の中に取り込まれてしまい、均質化されてしまったかのように見えて、つまらないもののように感じてしまいました。
外の世界は、木々の緑や、錆びついた金属のオブジェや、燻んだ色の煉瓦や石造りの建物が並び、歴史そのものを感じることができるますし、よりその土地の成り立ちを感じることができるような気がします。もしかしたら、美術館というのは、遮断装置としての役割を持っているのかもしれません。
私は空腹を感じたので、ボローニャ現代美術館の近くにあるレストランを見つけました。12ユーロでパスタランチを食べることができるお店だったので安心して入りました。ここのレストランの店員も英語を話すことができ、丁寧に対応していただけました。会計をするために店内を見渡していると、斜め向かいに座っていた女性が、わざわざ私のために店員を読んでくれたことには大変驚きました。イタリアの人は基本的に助けを求めない限り助けたりはしない、という話を聞いていたため余計に驚きました。
“Il cont” と伝えて会計をして、斜め前に座っていた女性にお礼を伝えお店を後にしました。
Parco della Montagnolaモンタニョーラ公園
とにかく木が高い。そのような自然を大切にしているということでもあるし、文化的なものを残そうとする意思も感じます。
石像のライオンの顔が意外にもとぼけた顔をしていて滑稽に見えた。
公園の風景を眺めているだけで、色々な想像力が湧いてくるような感覚になります。
チェックインの時間が来たので、ホテルへ移動し部屋の鍵をもらいました。今回は鍵の数は一つだけ。五つの鍵が必要な宿泊室に泊まった後だったたので、一般的なホテルはこうなんだなと知ることができました。荷物を部屋に置いて、すぐにホテルを出て
恐竜の化石博物館へ行こうと思い、街並みを感じながら歩いていくことにしました。残念ながら空いていません。大学の建物内をうろつき、化学記号の立体物や、火山石などのディスプレイのある建物をうろつきました。
街をあるていると、迷子になりました。
「どこからきたのか、どこへいくのかもわかりませんでした。」これは本当に「迷子のうさぎ」と同じ状況になってしまい、とても滑稽な思いをしました。元来た道に出てしまいました。
扉の形が多様性に富んでいました。素材もデザインも興味深いのですが、見たこともないような大きさの扉が並んでいるのです。それも、特殊な建物だからではありません。アパートやマンションの入り口や、お店の扉がとても巨大なのです。大きい扉はとても重く強固で、「そう簡単には開けることはできませんよ」と言っているようにも聞こえるのですが、反面大きければ入りやすいという、相反する要素もあるように思えました。強固な鍵や頑丈な扉は他者から個人を守るための装置のようにも思えますが、大きいということは、他者に侵入されるリスクもありますし、鍵が複雑であるということは、出入りするのに時間がかかるというリスクもあります。大きな扉に小さな扉があれば出入りも簡単にできるのにと、そんなことを考えて歩いていると、発見しました。大きな扉に取り付けられた小さな扉を。
ボローニャで購入した絵本、気になった絵本作家
ボローニャ現代美術館のショップでは、ボローニャ国際絵本原画展の期間中のためか、絵本と原画の展示も行われていました。作品は、鉛筆と黄色の絵の具で描かれたシンプルな作品で、黄色いレインコートを着た少年が雨と戦うお話で、グラフィカルで、コミカルで、ユーモアのある作風でした。こちらの絵本はボローニャ国際絵本原画展にも出展されていました。
“La grande battaglia” Andrea Antinori
チョコレート専門店 BOTTEGA DEL CAFEE' で、箱入りのチョコレートを購入。スーバーで食材を購入。蝶々の形をしたファルファッレ、平らで幅広なフェットチーネ、瓶だと重く割れてしまう可能性があるため、紙パックのトマトピューレを購入。パンを作るには小麦粉 FARINA TIPO 0 が良いとイタリア在住の日本人の方に教えてもらっていたので、パン作りが好きな妻のために一袋購入。日常的に食べるものなので、思った以上に安価に購入できました。
イタリア・ミラノの出版社 Carthusia Edizioni コミカルな絵モノクローム有り
何軒か本屋に行ったのですが、ボローニャ市内のマッジョーレ広場付近にある書店 Libreria Giannino Stoppani は絵本が豊富に置いてありました。そこで ”Un leone a Parigi” 「パリのライオン」を購入しました。A3サイズの大判の絵本で、作風はペンや鉛筆を使用したドローイングと、写真を使用したコラージュで構成された絵本です。イタリア語が全く読めないので、話の内容は全く理解できなかったのですが、技法がとても興味深かったので購入しました。
帰国後に物語の内容を私なりに翻訳してみたのですが、サバンナにいた一匹のライオンが日々の生活を退屈に感じ、旅に出るという物語です。
日本の鍵
外壁が薄っぺらなハリボテのような建物と、45度回すだけで開閉できる鍵に対峙することで、日本に戻ってきたのだとう実感が湧いてきました。
今回、イタリアで開催されたボローニャ国際絵本原画展に参加することで、大きな刺激を受けたのと同時に、このWeb上に無限に増殖する写真、イラストレーション大波に飲み込まれてしまいそうな感覚に陥ってしまうこともあります。それは、絵本やイラストレーションだけの問題ではないように感じます。現代アートの世界でもそれは問題としてあるようで、ただ単に絵を描いているだけでは、先鋭的で鋭い問いかけのない絵は、存在感を失ってしまう流れがあるよにも感じます。それにこれだけ多くの絵を描く人がいるということ、物語を書く人がいるということ。その中で私自身がどのようにして生き残っていくのかということを突きつけられたようにも感じました。
その反面、これまでと同じようにしっかりと自分自身と向き合いながら、作品を作り続けるというベースを持った上で独自性を構築して、どのようにしてそれらを世の中に出していくのか、どのように読者に届けていくのがいいのかを模索していくしかないと感じました。
そんなことより、イタリアのパスタとパスタソースとチョコレートは美味い!なんだかんだ言って、絵本は食い物には勝てないな。